1976-07-14 第77回国会 衆議院 内閣委員会 第12号
一つは横田基地の周囲道路の問題なんですが、先日、私現地を見てまいりまして、それからまた数日後、立川市の市役所での記者会見で、私が現地でいろいろ現場を見た問題、それから皆さんからお話を聞いた問題についてお話をしまして、翌日一般新聞でもいろいろ報道されておりますので御存じだと思います。
一つは横田基地の周囲道路の問題なんですが、先日、私現地を見てまいりまして、それからまた数日後、立川市の市役所での記者会見で、私が現地でいろいろ現場を見た問題、それから皆さんからお話を聞いた問題についてお話をしまして、翌日一般新聞でもいろいろ報道されておりますので御存じだと思います。
○中路委員 それではもう一点お尋ねしますが、そうだとすれば、八百七十一号まで周囲道路、これは地元の要望なんですね。住民の皆さんの要望でもあるし、いままでそういう請願で市も採択をしていた。そこまで道路を二千四百メートルですか、それをあと五百メートルぐらいです、私見たら五日市街道に抜けるまで。それを八百七十一号まで周囲道路をつくって、七十一号につなげて、フェンスの側の道路をずっとつなげるわけですね。
○中路委員 施設庁としては五日市街道まで抜けなければ困るということですね、この周囲道路の計画については。八百七十一号の線のところで周囲道路が終って、市長も言うように、じゃそのあとの部分は返上してお金も返す、そういう計画では困るんだ、五日市街道まで抜けなければこの周囲道路はつくってあげないのだ、そういうことですか。
その第一は、基地の中におけるところの、いま図面に示しました「A、B両地区の早期の返還」、第二が「高松バイパスの促進」、第三が「基地東側の早期返還と基地内南北道路の開通」、第四が「基地周辺の公共施設の防音工事などの整備」、第五が「国鉄青梅線沿いに貨物駅新設のための基地南側の一部返還」、第六が「都市計画街路二・一・七号線の青梅線踏み切り附近の拡張」、第七が「横田基地周囲道路の実現」、第八が「D地区の早期返還
日本海における時化は尖鋭にして、破壞力強きを以て本船溜の防波堤も時化ごとに多少の被害あり、昭和十三年及び十六年と二囘に災害後復旧工事を施行したるが、戰時中より資材労力の不足のため小被害の看過を余儀なくされたるところ、二十年、二十一年の両度の大時化により全防波堤及び周囲道路までも破損せらるるに至り、砂利の浸入を出來し將に漁船の出入は勿論、船溜としての機能を消滅せんとする状態に及べりこれにより縣の理解により